浦和東高架橋 投稿者 藤田さん
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20年ぶりに東京外かく環状道路 浦和東高架橋に行ってきました。
昭和60年頃から昭和64年(平成元年)まで下部工を築造していました。
噂で高架橋は耐震補強工事を行って昔の面影は無いと聞いていましたが、打設した当時の形でメタボ橋脚にはなっていませんでした。ただし、打音検査ではじかれたのか、梁受けのスペーサー部が、丸見えとなっていました。D51の2連、3連で梁受けのスペーサーが割れたので数でも持たせたのを思い出しました。
現在は、外郭環状道路も主要幹線で車がとぎれることはありませんし、国道298号線も写真の通り、信号の切れ目でとぎれる程度です。元気に頑張っているので、さわれる橋脚に気合いを入れてきました。
また、JR東北線側の橋脚の下にはフィットネス運動場が整備され親子で運動する姿が見受けられます。
本当なら、「お父さんは20年前この橋脚を作ったんだよ。大変だったんだよ!」と説明している予定だったんですが、親子でシーソー遊びをしている親子に自分を投影して自己満足で帰ってきました。
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現在の状況
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20年前 施工完了時の状況
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だいぶ町並みも変わりました、コンビニもローソンになっていました。車の量も半端じゃない。住宅もひしめき合い。先行投資すればよかったと、つくづく思いました。 |
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当方が施工に従事した工事、旧日本道路公団が施主でした。
旧17号立体の鋼橋脚は、旧建設省直轄工事でした。
当工区は、梁出しの長い2橋脚からホロースラブ部分15橋脚、そしてJR東北線立体側の張り出しの長い橋脚2橋脚まで全部で19橋脚です、JR東北線立体工事は旧建設省工事区間でした。
杭は、場所打ち杭(リバースサーキュリー工法)261本と途方もない数字だったと思います。
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元気な橋脚です
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東北線側の高架橋下部分は、現在さいたま市の文蔵フィットネス公園となっとります。
いつでも、橋脚に会いに行けるんです。
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橋脚の下で、親子3にんで明るく、遊んでいる姿に、橋脚が大きく守ってやっているように見えたのは、それ作った技術者だからなのでしょうか。
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