明日を作った男
〜田辺朔朗と琵琶湖疎水〜
能代河川国道事務所推薦映画 「明日を作った男」〜田辺朔朗と琵琶湖疎水〜 に魅了されて、 鰄渕こ線橋下部工工事が完了し小休暇が取れたので京都に散策に出かけました。 |
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新緑にかつての栄華が残るインクライン跡 | ||||
琵琶湖疎水の京都山科、蹴上地区にはインクライン跡が残り散策出来ます。 |
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話は前後しますが、琵琶湖疎水記念館には、当時の設計書を始め、田辺朔朗が残した卒業論文や図面、 |
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琵琶湖疎水記念館入口 | ||||||||
設計図 | ||||||||
トンネル断面図 | 卒業論文 | ||||||
蹴上発電所で最初に使用された発電機 | |||||
美しい水路閣
琵琶湖疎水は田辺朔朗が建設に携わった |
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インクライン上部トンネル出口 |
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インクライン上部 疎水トンネル出口部には、 田辺朔朗の銅像があります。 先に見学していたおばちゃん曰く 「若いあんちゃんのときの銅像やな、 晩年時代でもいいのとちゃう」と、 騒いでおりましたが、 実際に携わっていた頃は、 まさしくこんな感じだったんでしょう。 |
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銅像と筆者 | ||||||
美しい水路閣 | ||||
観光客が多いのですが隙を見て撮影(明治の初期の構造物とし ては美術的センスもあり、後生に残る構造物、国の史跡に認定 されているのも解ります) 写真奥に写っている、京都市在住の初老の夫婦に呼止められ、 琵琶湖疎水について問われ、「当方曰く、秋田で国土交通省の 工事に携わり、映画を薦められ見た映画が、琵琶湖疎水の映画で 若干20代の土木技術者が成し遂げた工事なので見にきました」 と答えると、「地元の人は銅像なんか、誰も見向きもしないのに、 わざわざ秋田から来られたんですか、 私たち京都の住民はこのお陰でだいぶ恩恵を受けているんです。 京都市の水道料金は琵琶湖のある滋賀県より安いんですよ。 |
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明治の混乱期に先を見据えてこの大工事を若干大学を卒業したばかりの技術者にまかせたんですから、 今じゃ考えられないですよね?」と長々と雑談する事となりました。 少しは秋田の工事のPRをしたかな・・・・・ この後、水路閣より先はトンネルの為、散策は不可能なので徒歩は南禅寺を迂回します。 トンネルの先は東山学園の近隣を通り、疎水の水の一部は記念館側へ排水しています。 |
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東山学園横で一部排水される疎水 | |||||
東山学園の引率されていた教諭に琵琶湖疎水について尋ねた |
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「哲学の道」 | |||||
疎水分線はいつの間にか「哲学の道」となり銀閣を越え流れていきます。 |
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美術的な石を売っているおじさん | 銀閣付近(哲学の道)で記念撮影 | |||||||
疎水分線はだんだん、雨水排水やら生活排水やらで汚くなっていく。途中、京都大学 (たしか当社の社長が京大出身だ!私が作っていたのが橋台だ!)のグラウンドの横も通る。 |
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疎水分線は叡山電鉄の下を通り鴨川(高野川)へ放水 | ||||||
琵琶湖からトンネルにて引いてきた水が河川へと戻る。 |
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